コラムニストの雑記帳
ガス抜き

 近頃、といってもここ十数年のことだが、時の政権が大増税路線といった国民の猛反発を受けかねない不人気政策を打ち出しても、国会周辺に筵旗が立つような大騒ぎが起きることはなくなった。抗議のデモが行われることがあっても静かなものである。
 日本人がおとなしくなった理由はいろいろあるが、TVメディアの影響も大きい。
 たとえば年金記録問題。
 社会保険庁の杜撰な管理の犠牲になった国民の困惑や不満、落胆をTVカメラは克明に追い、スタジオではキャスターやコメンテーターがカメラ目線、もとい「国民の目線」を意識しながら嘆き、不満をぶつけ、時には激しく怒ってみせる。
 それでも飽き足らなければ、役所に押し掛け担当者を直撃したり、スタジオに厚労相や与党の政治家を呼んでの糾弾シーンを演出してみせる。無論、こんなことで済むわけではないが、年金問題に怒り心頭の視聴者には多少の“ガス抜き”にはなる。
「ねじれ国会」がもたらした“ガソリン値下げ狂想曲”でもTVは大活躍だ。1円でも安い看板の店をみつけようとガス欠寸前のクルマで街中を徘徊する節約主婦や、さらなる値下げの判断に迷い他店を偵察に行くガソリンスタンド店長の密着ルポが連日のように放送される。
 この手の番組づくりは、かつてはワイドショーの十八番だったが、“ガソリン値下げ狂想曲”では民放のニュースもNHKのニュースもまったく同じ切り口でこの問題を取り上げ、現場のガソリンスタンドの経営は大変だと言いながら値下げ競争を煽った。
 TVメディアは次に何を追うのか。
 ガソリン税などの暫定税率の維持を盛った政府案を与党が再可決に持ち込めば、今度は“ガソリン値上げ(大増税)狂想曲”が始まる。そうなるとTVは、どの店が値上げ圧力に耐えられるかの我慢比べを執拗に流し続けるはずである。
 映像の間には、キャスターやコメンテーターが国民の政治への怒りを代弁。言論の府で与党政治を糺すべき野党の党首までもが、国会での本業よりもスタジオでのコメンテーター業を優先し、カメラに向かっての「増税許すまじ!」の大合唱に加わる。
 が、こうした騒動も長くは続かない。政治に対する視聴者の怒りも、一段落した頃には多少なりとも“ガス抜き”されていて、やがて冷静さを取り戻す。
 国民の怒りが政治への抗議行動へと発展していかないのは、このようにTVメディアが国民に代わって政治を叩いている(若しくは演技をしている)からで、世論の動向も読めないほど与党ボケした自民党も、参院での多数支配という“打ち出の小槌”を手に入れながら逆に弄ばれている民主党も、結果的にTVメディアにだいぶ助けられている。
 が、仮想現実空間から現実の世界に目を転じると、TV画面を見つめていた間は見えなかったものが見えてくるようになる。“ガス抜き”されずに蓄積されたガスも満タンにちかづきつつある。
 与野党トップの首を挿げ替えても景色は変わらない。北海道洞爺湖サミット直後に照準を合わせ、「話し合い解散」模索する時期が来たのではないか。
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