食の安全は、消費者が最も関心を寄せている分野である。この分野に関わる情報を隠してもろくなことがない。生煮えでもかまわない、中途半端でもいいから速やかに公表するにかぎる。
なのに首相官邸は、中国製冷凍餃子の中毒事件で、中国国内でも同様の中毒が発生した事実を把握しながら約1カ月も情報を伏せていた。
「報道で知った」という野田聖子消費者行政担当相は、最初から蚊帳の外。情報は首相官邸や外務省など政府内の一部でしか共有されず、中国製冷凍餃子の中毒事件を巡る政府内の連携不足への反省から新設された食品危害情報総括官(内閣府・厚労省・農水省・文科省・食品安全委員会の局長級5人で構成)も出番はなかったようだ。
福田首相も町村官房長官も木で鼻をくくったようなコメントでマスコミの攻勢をかわしているが、中毒事件に関わる重要情報を1カ月も伏せていた政府の態度は間違いなく世論の反発を招く。
一日経って「捜査の進行過程であり、捜査を進めるうえで支障があるので今は公表しないで欲しい(と中国から頼まれた)」(高村外相)、「(日中首脳会談では)ギョーザ問題も話をすることになる。進展があったようなので、問題解決に向け中国側の努力を要請したい」(福田首相)と、ようやく重い口を開き始めたが、こんな対応では、間違いなく内閣支持率に跳ね返る。福田内閣も危機管理ができていないようだ。
「消費者庁ができたら、こんなことには…」
そう思っている人は多いかもしれないが、たとえ消費者庁ができても長官や担当大臣よりももっとエラい政治家が「高度の政治判断だ」といえば、こんなことは何度でも起こり得る。消費者庁設置以前の問題なのである。
ところで蚊帳の外の野田担当相は、「今後こういうことがないよう、外務省と警察庁にちゃんと連携してくれと申し上げた」とコメントしているが、これは単に情報共有の輪に加わるということを言っているのにすぎないのか。情報開示の遅れについて何も語っていないのは、その辺の意識が欠けているのか。鳴り物入りで就任した野田担当相の今後が気がかりである。
気がかりといえば、野田氏は消費者行政担当相に就任早々、事務方にこんなことを言い顰蹙を買っている。
「消費者庁の名称を国民の公募で決めることにしない?」
政府方針どおり消費者庁の来年4月発足を目指すには、秋の臨時国会に関連法案を提出し早期成立を図る必要がある。消費者庁以外の名称を考える必要も、公募に時間をかける余裕もないのである。
にもかかわらず野田氏は、屈託のない表情でこんなことを口にする。自身が消費者行政担当相に起用された理由について、就任インタビューで「私は自民党消費者問題調査会の初代会長で、(消費者行政を)学び直さなくてもいい人材なので」と答えているが、本当にそうだろうか。
内政では思うように指導力を発揮できない福田首相が、7日から洞爺湖で開催されるG8サミット(主要国首脳会議)など一連の国際会議の議長を務める。
低下した求心力はいつまで経っても上向かない。通常国会でさんざ苦労した“ねじれ現象”はこれからも続く。政治を取材している記者たちは、「この政権、いつまでもつのだろう」と福田政権の行く末をかなり悲観的にみている。
が、サミット絡みの記事や社説を書く段になると「指導力を発揮せよ」などと、首相をしっかりと後押しする。そこまでいかない場合でも、「指導力が問われる」と中立を装い、けっして「うまくいきっこない」とは書かない。何故か。
サミットのホスト(議長)は、よほどのことがない限り恥をかくことはない。円卓で議論をかわす首脳たちも、最後は喧嘩別れすることなく柔和な表情で会場を後にする。
サミットについてどのような意味づけをしようと、決して失敗しないように参加国の裏方たちがしっかりと支え合っているから、誰が議長を務めても期間内にゴールに辿り着けるのである。
ここまで書いたところで、日米首脳会談後の共同会見が始まった。
福田首相の受け答えに「大丈夫?」と感じた人は多かったと思う。サミット本番でもそうなるかもしれないが、首相は3日間の日程をつつがなくこなし、最終日9日の午後3時半には議長として満面に笑みをたたえサミット閉幕後の会見に臨むはずである。
金融庁が所管する貸金業法と金融商品販売法の「消費者庁」への移管を迫る岸田消費者行政推進担当相に、「持っていくなら(金融行政を)全部持っていけ」と渡辺金融相が言い放った。「消費者庁」を巡る閣僚折衝の一コマだ。
出たとこ勝負の荒っぽい閣僚折衝が行われるようになったのは、福田政権になってから。ガチンコであろうと、出来レースであろうと、水面下でかなりのところまで詰めた上で可否の最終判断を閣僚同士の話し合いに委ねるのがそれ以前の閣僚折衝だったが、福田政権下の閣僚折衝では水面下云々の前哨戦が省かれている。
閣僚といっても、岸田氏を支えるスタッフ(官僚)は少数。役所を持たない特命大臣という同情すべき面はあるが、当選5回、ベテランの域に近づきつつある政治家にしては策が無さ過ぎる。
「消費者に身近な問題を取り扱う法律は消費者庁に移管する」
消費者庁を巡る迷走は、福田首相が4月24日の消費者行政推進会議で発したこの一言が引き金になっている。
政権浮揚につなげたい…。そんな下心が見え隠れするが、国民本位の、消費者の視点に立った行政への転換を目指して権限と責任を持った消費者行政の司令塔をつくりたいという首相の考え方は間違っていない。
だが、そのために消費者に身近な問題を扱う法律や業務は何でもかんでも消費者庁に移管するという考え方は短絡的ではないか。
岸田担当相が関係省庁に移管を求めている約30本の法律は、外部の声をそっくり「移管候補リスト」に載せたに過ぎない。にもかかわらず、それぞれの法律や業務を消費者庁に移して実効性があるのかということが議論されぬまま閣僚折衝が繰り広げられている。何故か。
「歴代1位」の在位記録を誇るが、福田首相の閣僚経験は官房長官のみ。“現業”を経験していないので、消費者庁に強力な権限を与えれば消費者保護行政が機能するとの思い込みが強い。しかも、あらぬ方向に猛進する首相に的確な助言を行う人物もいない。首相に謙虚さが備わっていたら、と思うが、無い物ねだりか。
出たとこ勝負の荒っぽい閣僚折衝が行われるようになったのは、福田政権になってから。ガチンコであろうと、出来レースであろうと、水面下でかなりのところまで詰めた上で可否の最終判断を閣僚同士の話し合いに委ねるのがそれ以前の閣僚折衝だったが、福田政権下の閣僚折衝では水面下云々の前哨戦が省かれている。
閣僚といっても、岸田氏を支えるスタッフ(官僚)は少数。役所を持たない特命大臣という同情すべき面はあるが、当選5回、ベテランの域に近づきつつある政治家にしては策が無さ過ぎる。
「消費者に身近な問題を取り扱う法律は消費者庁に移管する」
消費者庁を巡る迷走は、福田首相が4月24日の消費者行政推進会議で発したこの一言が引き金になっている。
政権浮揚につなげたい…。そんな下心が見え隠れするが、国民本位の、消費者の視点に立った行政への転換を目指して権限と責任を持った消費者行政の司令塔をつくりたいという首相の考え方は間違っていない。
だが、そのために消費者に身近な問題を扱う法律や業務は何でもかんでも消費者庁に移管するという考え方は短絡的ではないか。
岸田担当相が関係省庁に移管を求めている約30本の法律は、外部の声をそっくり「移管候補リスト」に載せたに過ぎない。にもかかわらず、それぞれの法律や業務を消費者庁に移して実効性があるのかということが議論されぬまま閣僚折衝が繰り広げられている。何故か。
「歴代1位」の在位記録を誇るが、福田首相の閣僚経験は官房長官のみ。“現業”を経験していないので、消費者庁に強力な権限を与えれば消費者保護行政が機能するとの思い込みが強い。しかも、あらぬ方向に猛進する首相に的確な助言を行う人物もいない。首相に謙虚さが備わっていたら、と思うが、無い物ねだりか。
9日の党首討論。新聞は、日銀総裁・副総裁の同意人事について3回も拒否権を行使した民主党を「権力の乱用だ」と批判する福田首相と、「文句を言うなという話では、国会がいらなくなる」とクールに反論する小沢民主党代表の論戦を「総理大臣も決闘をする」(毎日「余録」)、「ようやく党首討論らしくなった」(日経社説)、「党首討論はいつもこうあってほしい」(朝日社説)と、討論の盛り上がりを肯定的に評価している。
非難の応酬。そう言われてみればそんな気もするが、「国会運営について可哀想なくらい苦労しているんですよ」というのは非難よりも愚痴。首相発言をよくよく読むと、愚痴やぼやきがやたらと目立つ。既に鬼籍に入ったが、生前、何かにつけ愚痴をこぼしぼやいていた友人のことを思い出した。
「権力の乱用」という表現もいただけない。手元にある「大辞林」(小学館)によれば「権力」とは、「他人を強制し服従させる力」「特に国家や政府などがもつ、国民に対する強制力」のことを指す。
新聞が「権力の乱用」を大見出しで取り上げたことに気をよくしたのか。首相はメルマガでも「参議院の第1党という権力の乱用」批判を展開しているが、権力を持っていない野党に向かっての「権力の乱用」批判は権力という言葉の誤用にほかならない。日本語は正しく使うべきである。
近頃、といってもここ十数年のことだが、時の政権が大増税路線といった国民の猛反発を受けかねない不人気政策を打ち出しても、国会周辺に筵旗が立つような大騒ぎが起きることはなくなった。抗議のデモが行われることがあっても静かなものである。
日本人がおとなしくなった理由はいろいろあるが、TVメディアの影響も大きい。
たとえば年金記録問題。
社会保険庁の杜撰な管理の犠牲になった国民の困惑や不満、落胆をTVカメラは克明に追い、スタジオではキャスターやコメンテーターがカメラ目線、もとい「国民の目線」を意識しながら嘆き、不満をぶつけ、時には激しく怒ってみせる。
それでも飽き足らなければ、役所に押し掛け担当者を直撃したり、スタジオに厚労相や与党の政治家を呼んでの糾弾シーンを演出してみせる。無論、こんなことで済むわけではないが、年金問題に怒り心頭の視聴者には多少の“ガス抜き”にはなる。
「ねじれ国会」がもたらした“ガソリン値下げ狂想曲”でもTVは大活躍だ。1円でも安い看板の店をみつけようとガス欠寸前のクルマで街中を徘徊する節約主婦や、さらなる値下げの判断に迷い他店を偵察に行くガソリンスタンド店長の密着ルポが連日のように放送される。
この手の番組づくりは、かつてはワイドショーの十八番だったが、“ガソリン値下げ狂想曲”では民放のニュースもNHKのニュースもまったく同じ切り口でこの問題を取り上げ、現場のガソリンスタンドの経営は大変だと言いながら値下げ競争を煽った。
TVメディアは次に何を追うのか。
ガソリン税などの暫定税率の維持を盛った政府案を与党が再可決に持ち込めば、今度は“ガソリン値上げ(大増税)狂想曲”が始まる。そうなるとTVは、どの店が値上げ圧力に耐えられるかの我慢比べを執拗に流し続けるはずである。
映像の間には、キャスターやコメンテーターが国民の政治への怒りを代弁。言論の府で与党政治を糺すべき野党の党首までもが、国会での本業よりもスタジオでのコメンテーター業を優先し、カメラに向かっての「増税許すまじ!」の大合唱に加わる。
が、こうした騒動も長くは続かない。政治に対する視聴者の怒りも、一段落した頃には多少なりとも“ガス抜き”されていて、やがて冷静さを取り戻す。
国民の怒りが政治への抗議行動へと発展していかないのは、このようにTVメディアが国民に代わって政治を叩いている(若しくは演技をしている)からで、世論の動向も読めないほど与党ボケした自民党も、参院での多数支配という“打ち出の小槌”を手に入れながら逆に弄ばれている民主党も、結果的にTVメディアにだいぶ助けられている。
が、仮想現実空間から現実の世界に目を転じると、TV画面を見つめていた間は見えなかったものが見えてくるようになる。“ガス抜き”されずに蓄積されたガスも満タンにちかづきつつある。
与野党トップの首を挿げ替えても景色は変わらない。北海道洞爺湖サミット直後に照準を合わせ、「話し合い解散」模索する時期が来たのではないか。

