コラムニストの雑記帳
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あけましておめでとうございます。
今月中に再開します。
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初仕事

 総選挙から間もなく2週間。いまだ惨敗のショックを引きずる自民党は、敗戦の総括すらできぬまま迷走が続く。
 その間決まったことと言えば、総裁選の日程と、首班指名で「麻生太郎」と書かないことぐらい。世論調査によれば、自民党を第1党から転落させた有権者の大勢は「自民再生」を求めているというが、自民党内の混乱ぶりや、反省もなく記者団に八つ当たりする麻生首相や森喜朗元首相らの言動を見ていると「ホントに再生できるの?」という疑問がわいてくる。
 一方、圧勝した民主党は、政権移行の準備に余念なく、社民党、国民新党との連立合意も成立した。
 衆院7議席の社民と3議席の国民新が連立政権運営の波乱要因となるのか、308議席を占める巨大民主の圧倒的なパワーに押しつぶされていくのか。評価は両論あるが、民・社・国の3党連立が吉と出るか凶と出るかは、「基本政策閣僚委員会」が実際に動き出さないことには見えてこない。
   * * *
 16日の首班指名で首相に就任する鳩山由紀夫氏は、直ちに組閣作業に着手。新内閣を発足させてから訪米。国連気候変動ハイレベル会合や国連総会への出席など一連の外交日程をこなす。鳩山氏の首相としての最初の仕事は「外交」になる。
〈初仕事の外交で、麻生政権との違いを鮮明にする必要がある〉
 そう考えたのだろうか。鳩山氏は今月7日の「朝日地球環境フォーラム2009」で講演、日本の温室効果ガス排出削減の中期目標について「2020年までに1990年比25%削減を目指す」と明言、麻生政権が打ち出した政府目標(「2005年比15%削減(1990年比8%削減)」)を上方修正する考えを表明した。
 「25%」は、民主党が総選挙のマニフェスト(政権公約)で有権者に約束したことだが、この数字を「15%」から差し替えて日本政府の新しい中期目標にするには、それなりの手続きが必要になる。
 しかし鳩山氏は、「25%」の積算根拠や目標達成に向けた道筋を国民に示さぬまま訪米、22日の国連気候変動ハイレベル会合でこの方針を表明するようだ。
「世界のすべての主要国の参加による意欲的な目標の合意が、我が国の国際社会への約束の前提」との条件が付いているというが、日本の新首相が国際会議などの場でこの数字を口にすれば、その瞬間から日本の国際公約として独り歩きする。
 華々しく外交デビューを飾りたいという気持ちは分からぬでもない。しかし、現行の目標を17ポイント引き上げることになる「25%」を、国民への説明もなくいきなり外交のカードとして使うのは、手法としては乱暴だ。
まずは国内で、「25%」の内訳と実現への処方箋を示し、この高い数値目標が経済成長の阻害要因にならないと主張する理由を明確にすべきである。

政と官

「我が国で最大かつ最高のシンクタンク」
 霞が関の中央官庁をこう評する自民党の中堅代議士(解散により前職)は、長年にわたって党と自身の政策づくりに官僚の「知恵」を目一杯活用してきた。
「こんな政策を思いついたのだが…」
 政策のアイデアが浮かぶと直ちに官僚を呼んで、ぼんやりとしたイメージを伝えるだけで、日を置かずして綿密に組み立てられた詳細設計が政治家の手元に届く。
 無論、政治家のアイデアが実現可能で、官僚機構としても支持できると判断した場合に限っての対応だが、並の政治家はこの段階で「自分には政策づくりの才がある」「官僚を使いこなす能力がある」等と、とんでもない勘違いをする。
 政策案が出来上がれば、そこから先は政治家の出番だが、官僚が根回しの苦手な政治家に代わって霞が関や永田町への根回しまで請け負うこともある。丸投げに等しいが、並の政治家は「官僚は言うがまま、これこそが政治主導だ」とますます勘違いをする。
 官僚が知恵袋や手足となって与党の政治家を支える「政と官」の関係は、「55年体制」の発足時から54年間、自民党が下野した一時期を除き、ずっと続いてきた。1993年から1994年にかけての非自民連立政権の時代も、基本的には「官」が「政」を支えたと言っていい。
 自民党の大臣の目を盗んで民主党の有力議員にアプローチする霞が関の官僚たちを、AERA(8月24日号)はTBSで放映中のドラマ「官僚たちの夏」(城山三郎原作)のタイトルをもじって「官僚たち『すり寄り』の夏」と皮肉るが、官僚にも生存本能はある。彼らにしてみれば、政権交代への備えは「至極当然の行動」ということだろう。
「自民党が下野したら霞が関をシンクタンク代わりにできなくなるのでは?」
 自民党のある代議士にこう問うたところ、「こっそり呼べばいい」という答えが返ってきたが、16年前の官僚たちは野党に転じた自民党議員への接触をためらった。今回も、自民党が選挙に負けて下野すれば「16年前と同じ光景」ということになる。
 第45回衆院総選挙が18日公示され、解散と同時に事実上スタートした選挙戦は早くも終盤に入った。
 官僚主導政治の打破を標榜する野党第一党の民主党は、総選挙のマニフェスト(政権公約)で、政官民の優れた人材を官邸に結集、政治主導で予算の骨格や国家ビジョンを組み立てる国家戦略局の設置を政権構想の目玉に掲げる。政権交代の暁には、自民党支配の時代に築かれた「政」と「官」の関係を清算、これからは何でもかんでも「政治主導」と意気込む。
 一方、霞が関の官僚機構の中にも、閉塞状況を打破しようと国家戦略局への志願を考えている官僚がいるという。
劣化

 当然のことだが、日本の政党の中で自民党ほど政権与党の重みを知り尽くしている政党はない。
「政権維持互助会」と揶揄されようが、政権を死守するためなら何でもやってのける。15年前の社会党、新党さきがけとの「自社さ連立政権」もそうだった。
38年間死守してきた政権与党の座から転落した自民党は、与党に戻りたい一心で思想的にまったく相容れない、文字通り水と油の関係にある社会党と手を結び、左派のリーダー村山富市委員長を首相に担ぎ出す前代未聞の奇策を仕掛け、政権奪還に成功する。
 この自社さ連立政権の功罪はともかくとして、かつての自民党の政権維持策からは「失敗は許されない」という覚悟が見て取れ、政権トップに就くリーダーたちにも首相の重責への自覚や使命遂行への執念が感じられた。
 最近はどうか。安倍、福田と直近の2人の首相が立て続けに任期半ばで政権を投げ出し、満を持して登板した麻生首相も、自身が発した言葉で支持率を落とし窮地に立たされている。自業自得、ボロボロである。
 政権維持の仕掛けも、福田政権の「大連立」構想のように覚悟も戦略もないので、あっという間にはかなく消えていく。
 古賀選対委員長にしてみれば、藁にもすがる思いだったのだろう。「東国原人気」に頼るべく、宮崎県知事を総選挙の目玉として担ぎ出そうとしたが、底の浅い選挙戦略はすぐに世論に見透かされる。
 それにしても、15年前よりはるかに危機的な状況にあるにもかかわらず、この程度の奇策しか浮かばないとは。自民党のこの体たらく、原因は那辺にあるのだろう。
「政治家失格」(文春新書)の著者、時事通信社の田崎史郎解説委員長(最近、民放でよく見かける政治解説者だ)は、「システムより、政治家の劣化にこそ問題がある」との見方を示す。システムにも問題がないわけではないが、どちらといえば「人の比重が大きい」と田崎氏は書いている。同感だ。
「麻生降ろし」の仕掛け人の一人、加藤紘一元幹事長はその昔、「森降ろし」政局を仕掛け、自身が躓いた。
 中川秀直、武部勤の両氏も幹事長経験者で、「元幹事長」が3人も顔を揃えながら、やったことといえば反麻生の動きを煽動しただけ。落としどころを考えているふうでもない。「いざとなったら」の覚悟も感じられない。こんなところにも、政治家の「劣化」が見て取れる。
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